私たちは毎日、自分の感情をコントロールしながら生きています。落ち込んだ心を励ましたり、怒りに震える心を抑えたり。この映画に登場する認知症の方々も全く同じです。感情や情緒を抑え込む過程で記憶まで無くした人々に「好きな音楽」を聞いてもらうだけで心の扉が開き、彼らの顔に「生きている」幸せの笑みが甦ります。音楽の本当の力を提示する映画をご紹介します。(エムズシステム代表 三浦光仁)
「パーソナル・ソング」を観てきました。青山の小さな映画館です。それでも100席はあります。ウィークデイの午後だからでしょうか、その客席は20も埋まりません。テレビのワイドショーでも取り上げられた話題(?)の映画ですから、もう少し入っているかと思いました。でもお客の入りなどどうでも良いくらい、素晴らしい映画でした。
「音楽の力」とはよく使われるフレーズですが、まさしくこれは私たち人間には「音楽」があるのだと気づかせてくれる映画です。
アメリカでは認知症の人が500万人を超えているそうです。IT業界にいたダン・コーエンは認知症の人たちに思い入れのある曲(パーソナル・ソング)を聞かせれば、曲の記憶とともに何か思い出すのではないかと考え、「ミュージック&メモリー」という活動を始めます。認知症の人たち一人ずつに好きな曲を聞いてもらうのです。
映画が始まってわずか十数秒で、驚きの映像が流れます。そこからは、驚きと感動でラストまで持って行かれます。これほどキャッチーなファーストシーンを持つ映画を見たことがありません。巨大なスペクタクルシーンがあっても、のっけから迫力の脱出シーンがあっても、これほどは驚かないと思います。
娘の名前さえ思い出せない老女にルイ・アームストロングの「聖者の行進」を聞かせると、一瞬にして彼女の表情に光が入り、目が輝き、「これはルイ・アームストロングの聖者の行進ね。母に内緒でコンサートに行ったことがある」と語り出し、その当時のことを鮮明に思い出すのです。
人間の記憶のメカニズムがどうなっているのか分かりませんが、彼女の中の青春時代の記憶は消えていたわけではなく、「Alive Inside」(中で生きている)のです。これがこの映画の原題です。
音楽はその記憶の抽斗の取っ手に強力なフックをかけて引き出してくれるのです。そこには当時の情景が、そのまんま見事に保存されています。90歳になる彼女はどこで働いて、どの建物にいたかさえ明確によどみなく語り出すのです。
心の奥にある「怒り」が湧いてきて止められないというギルに、ある音楽を聞いてもらうと、彼の本来の優しい性格が、ほんの数秒で解凍され、神々しいまでの慈愛に満ちた笑みが浮かびあがりました。
躁鬱症に悩むデニーズは、2年間使い続けていた歩行器を手放し、陽気にダンスを踊り始めました。音楽は、言語や思考の脳だけでなく、運動や感情の脳にも作用するので、閉じ込められた情緒の扉が開いた瞬間、身体も自然に動き出すのです。
音楽は人間の心や身体と、巨大なひとつの精神や測り知れない大きさの宇宙と直接の繋がるパイプラインなのかもしれません。つながることで安定し、心の平和と、身体のバランスが取れるのではないでしょうか。
ギルやデニーズは特別な人ではなく、現代人そのものの姿だと思います。認知症という言葉で括られた記憶を無くした人々として捉えられていますが、現代を生きている私たちが多かれ少なかれ抱えている感情と情緒の問題が顕著に表れた人たちと呼べるのではないでしょうか。
社会的適合と勘違いして、その気持ちの芽を心の奥底に埋め込んで行く過程で、その周辺の記憶自体も閉じ込めてしまうのではないでしょうか。
一人ひとりの蘇生があまりにも鮮やかに映し出されています。人の生命をこれほど見事に差し出して見せてくれた映画は少ないと思います。褒めすぎでしょうか。いや、もっともっと称賛され、多くの人に観て頂きたいと思いました。
私はエムズシステムというスピーカーを製造しています。あたかも演奏家があなたのために目の前で演奏したり歌ってくれたりしているかのように心に響く、全身を優しく包み込むサウンドがたった一つのボディで空間全体に広がり、どこに置いてもどこで聞いてもお楽しみ頂けるので、少しずつ世の中で使われ始めてきました。
ひとつだけ残念だったことは私の母にこのスピーカーの音を聞かせられなかったということです。
母は78歳で亡くなりました。樺太生まれで、ロシア語が上手で、朝食にはカフェオレとクロワッサンを好んで食べていました。最後の1年間はパーキンソン病が進行し、老人養護施設で過ごしました。とても良い方々に囲まれて幸せに過ごさせて頂きました。
息子の私としても納得のいく1年でした。あまり耳のよくない母と、こんなに高い頻度で会話したことが今までありませんでした。
ただ、ひとつだけ後悔したことがあります。このスピーカーの音を聞かせてあげられなかったことが心残りです。
養護施設は高いレベルのケアが行われていてとても満足していたのですが、いま思えば「音」についてはどうでしょう? ホールに集まって「音楽」を楽しみましょうという時間があるのですが、そこにはプラスティックなラジカセが1台置かれているだけでした。
それは確かに聞きなれた普通の音なのですが、そのホールに集まっているお年寄りにこそ、優しく、柔らかく、豊かな音色で包み込んで差し上げたいと思いました。
音楽が持っている本当の力を引き出せるスピーカーから聞こえる音は、身体を形作っている細胞を活性化してくれます。心を活性化してくれます。
いまでは、エムズシステムの波動スピーカーを様々な場所で活用して頂けるようになって来ました。4年前からある老人ホームの食堂にも導入されています。いままでは食事が終わるとすぐに個室に引き籠ってしまいがちな方が、食堂にそのまま残りお好きなジャズのリズムに身を任せたり、クラシックの愛好家同士の会話が弾んだりするそうです。
母には聞かせられなかったのですが、この仕事をしていてよかったと思いました。
音楽をスピーカーで流すとき、私たちは『再生』と言う言葉を使います。見事な表現としか言いようがありません。音楽が誕生している瞬間を再び生みだすのですから。
その音楽によって、私たち人間の中に生きている、鮮明な記憶を再び蘇らせ、『生』を与えることが出来るのです。
とかく聴覚のフィールドはないがしろにされがちです。そんな中、「パーソナル・ソング」はそのキャッチコピー通り、1000ドルの薬より1曲の音楽を!音楽の持つ本当の力を見事に表現してくれました。一人でも多くの方が、この映画をご覧になり、自分の中に生きている生命のビート(音楽)に再び耳を傾けてくれることを願っています。
■ 映画『パーソナル・ソング』http://personal-song.com/