東京オリ・パラの開幕を直前に控える中で、懸念だった問題が再燃している。26日からトライアスロンの会場となる「お台場海浜公園」の異臭問題だ。東京湾の水質についてはかねてから問題視されていた。ゲリラ豪雨が降ると、糞尿を含んだ大量の雨水が下水管から川に流れ出て、処理されないままの糞尿が川から東京湾に流れ込む。オルタナでは2016年7月、この問題について取材した。再掲する。
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「海の日」の前日の朝、東京・羽田空港付近を漁船で回る機会に恵まれた。招いてくれたのは「NPO法人東京湾 藍い海の会」の亀石幸弘専務理事(当時59)。地元・羽田で400年続く漁家の生まれである。(オルタナ編集長・森 摂)
午前9時半、東京モノレール/京急電鉄の天空橋駅からほど近い海老取川に留めた漁船に乗り込んだ。多摩川の河口付近でエンジンを切り、亀石さんが海に入った。羽田空港の施設を真横に見るこの辺りは浅瀬で、引き潮時には腰までしか水は来ない。
亀石さんは手製の大型漁具「鋤簾」(じょれん)を巧みに操り、川底の砂をすくい取り、その網に入れる。前日の大雨で巻き上げられた、嫌気土壌の重たい泥だ。15分程度で2回すくった結果は、大型のハマグリが4つと、あとは小さな貝ばかり20個ほどだけだった。
「15年ほど前は調子が良く、1日で20万~40万円分くらいのアサリやシジミが獲れた」と亀石さん。休漁すれば1日で4万円近い補償金が出るという。「それだけお金が出るのに、わざわざ漁に出る人はもうほとんどいないよ」と寂しそうに笑う。
アサリは泥質が苦手だ。羽田の海の土壌環境が変わったのは、空港の沖合展開(D滑走路など)だけでなく、豪雨による多摩川の鉄砲水、それにともなう土壌流出による酸欠、水温上昇に伴う赤潮など、複合的な要因の積み重ねだという。
「とはいえ、東京湾は奇跡の湾。南側に向けて開口しているので、黒潮が流れ込んで来る。数日間で東京湾の水が一掃される」。これがなければ、とっくに死の海になっていただろう。
もう一つ大きな問題は、糞便性大腸菌による水質汚染だ。東京では生活排水、トイレなどの下水と雨水を1本の管で下水処理場に送る「合流式下水道」を使っている。しかし下水管の処理能力を超える雨が降ると処理場がパンクするため、下水を川に逃がす出口が作られた。その数、700カ所以上になる。
このため、特に夏にゲリラ豪雨が降ると、糞尿を含んだ大量の雨水が下水管から川に流れ出て、処理されないままの糞尿が川から東京湾に流れ込むのだ。これを「オーバーフロー」という。
国の海水浴場基準によると、糞便性大腸菌群の数が100ミリリットル中1000個以下と定められているが、過去の水質調査では58000の数値を計測したこともある。大腸菌やO-157によるパンデミック(伝染病の大量発生)を心配する声も上がる。
東京五輪のアセスメントでは、こうした環境悪化の緩和措置(ミティゲ―ション)として、水質浄化施設の設置や底質の改善(しゅんせつなど)のほか、汚染水の流入を防ぐ水中スクリーンの設置などが検討された。
トライアスロンの会場となるお台場海浜公園で、水中スクリーンで競技会場を仕切り、汚れた海水を入れないようにしようとするものだ。本当にそれが可能なのかは、まだ分からない。
亀石さんによると、死にかけた海を生き返らせた事例が米国にあるそうだ。メリーランド州ボルチモアは、チェサピーク湾を目の前にした天然の良港として知られていた。1960年代からの施設の老朽化と主産業の構造不況で臨海部は荒廃した。
その環境保護活動がはじまったのは、30年前の3人の住民の行動からだった。そして、現在の活動を支えているのも住民の湾を守りたいと願う強い気持ちと具体的な行動である。
チェサピーク湾では垂直護岸の葦原湿原への改修、日本の牡蠣を使った自然環境回復への取り組みが奏功したという。こうした活動は、環境保全を通じて産業を興し、多くの雇用を創出した。
亀石さんも、東京湾の生物多様性を取り戻そうと孤軍奮闘している。アサリやワカメを使った海底土壌の改善など、「環境漁業プログラム」を計画している。アサリは泥質には弱いが水質浄化の機能があるため、独自の「垂下方式」で成長を促進でき、東京湾の水質向上に貢献できるという。
亀石さんは、「都民や東京の企業はもっと東京湾に関心を持ってほしい」と訴える。東京湾に糞尿を垂れ流しにしたのは行政の責任だが、住民がそれを知らないことは問題の解決を遠ざける。
4年後、本当にトライアスロンの選手たちを東京湾で泳がせられるのか。日本最大の空港である羽田の周辺の海で何が起きているのか。まずは無関心からの脱却が必要だ。