「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(22)
私はユッコ。児童養護施設から小学校に通っている。フィリピン生まれなんだけど、母が出稼ぎに来ていて日本人のおじさんと結婚したの。それで離婚した前夫の子どもである私もマニラから埼玉に呼び寄せられたわけなんだけど、すぐ母が若い男と駆け落ちしてしまい、私は置き去りに。いいの、同情してくれなくても。結構楽しくやっているから。
きょうは養護施設の先輩、タケシのお話。彼が人材紹介会社「幸(しあわせ)」の事務所に顔を出したのは夏の夕方だったそうよ。幸は向山という人が社長を務める人材紹介会社で、タケシは社長のおかげで宅配の会社に就職が見つかったの、正社員候補として。それが、突然事務所に現れた時、よく見ると制服はあちこちが破れ、唇に血がにじんでいたというわ。
「向山さん、俺やっぱ、あの宅配便の会社辞めるよ。肌に合わねえ」
それ以前に正社員候補として紹介されたふたつの会社でトラブルを起こし採用取り消しの憂き目にあっているタケシ。もう後がないはずなのに。
「タケシさん、またですか。何回問題を起こしたら気が済むんですか。あの会社で正社員として働きたいんでしょう。だったら我慢することも必要じゃないんですか」。温厚な向山社長の口調も思わずきつくなった。
「俺、もう、どうしたらいいかわかんねえ」
タケシの話では細かい事情が不明なので、向山社長は宅配業者の人事部に電話を入れた。話してみると相手は意外なほど低姿勢だった。
「タケシさん、人事部長からの伝言だよ。とにかく、明日、会社に来てくれって。部長さん、本気であなたのこと、心配してくれているんですよ」
向山社長のやさしい言葉に、角刈りが似合うタケシが恐縮している。「いいんすか、トラブル起こしたのにさ」。
タケシは小さいころ両親を亡くし、児童養護施設で育った。高校を中退し、一旦、とび職に就いたがケンカをしてそこを飛び出した。飲食店のアルバイトで食いつないでいたが、好きな女の子ができて今は必死に正社員を目指している。
養護施設の子はたいてい親がいなかったり、いても虐待や経済的困窮で心が深く傷ついている。自己肯定感が持てず、学校や職場でうまくやっていけない。就職できてもすぐ辞めて離職を繰り返す。行き着く先は男ならホームレス、女なら風俗ともいわれる。子供に罪はないはずだ。彼らの背中を押してあげるビジネスが社会に必要ではないか。そう思って向山が1年前に立ち上げたのが「幸」だ。
段階を踏んで正社員というゴールを目指す面倒見のいい「ホップ・ステップ・ジャンプ就職」が売りで、初めの個別面談で本人の性格、適性を把握した後、第一段階のホップで会社見学に同行し、スッテプで1日だけ仕事を体験してもらう。うまく行くようならジャンプで正社員候補として月単位の派遣というプロセスを踏んだうえで最終的に正社員になる。
人手不足に悩んでいる中小企業からの求人は多いが、幸は苦戦の連続だ。この1年で、70人もの応募があったが、実際に会ってみるとまったく働く気がない子や、意欲はあっても病気や障害で週に2回位しか働けない子が意外に多かった。結局、これまでに正社員になれたのはたった3人しかいない。
タケシの場合、元気があるのはいいのだが、施設にいたころから人に何か言われるとすぐ切れる悪癖がある。自信がない裏返しで、自分を大きく見せようとする傾向が強い。最初の職場では「俺は若いころからケンカが強くてさ」と自慢し、顰蹙を買った。2社目では「俺はこう見えても、いろんな仕事を経験しているんだぜ。トビだろ、ラーメン屋だろ。わからないことがあったら何でも相談してくれ」と高飛車に出て、明日から来なくていいと言われてしまった。
養護施設のスタッフは「施設の子の一番の問題は経済的なものではなく、実は精神的なもの。愛情の欠如で子供たちの心の傷は想像以上に大きい。回復させるには普通の子以上に愛情を注ぐ必要がある」というのが口癖だが、その通りだと思う。だからタケシにもやさしく接してあげてほしいの。
あまり知られていないが、施設育ちでも独特の長所を持つ子もいる。小さい時から周りに気を使って育つので他者への思いやり、気配りがすごい。
施設に来る子は社会の矛盾を一手に引き受けている。ほとんどの子は学校すら行っていない。施設を出ても社会からつまはじきにされ悪の仲間に入る子も多い。
翌朝、向山はタケシに付き添って宅配便の会社に出社した。
「この度は、自分の勝手な行動で会社にご迷惑をおかけしてすみませんでした。二度とこのようなことがないよう気をつけます」
神妙に頭を下げるタケシと渋面の向山社長を前に人事部長は穏やかだった。
「タケシ君、反省しているのはよくわかった。ただ、調べてみたら、君がケンカした職場の同僚たちにも落ち度がある。孤児院という言葉まで使ったようで、差別と批判されても仕方ない。彼らも反省している。今回のことは水に流して、また、一緒に働いてくれないか、正社員として。会社には君が必要なんんだよ。お客さんの評判もいいし」
思いがけない言葉にタケシは涙を抑えるのが精一杯だった。向山がぐっと手を握ってきた。
養護施設の会議室に集まったユッコたちの前でタケシはこう打ち明けてくれた。「実は、正社員になれない俺に彼女が愛想つかして、前の週に、もう別れようと言われてしまった。でもその後で妊娠していることがわかったんだ。俺、家族が欲しいんだ。もうひとりぼっちは嫌なんだよ」
それで向山社長に聞いたんだって。幸という名前、最初はなんてダサい社名なんだろうと思ったけど、案外いけてるかもね。それで、赤ん坊がもし女の子だったら、幸(さち)って名前をつけてもいいかって。
晴れて宅配会社の正社員になったタケシは、初めてのボーナスを私たちの養護施設に寄付するために訪ねてくれたの。
「少しでも後輩の役に立てたらうれしいよ」
(完)