「森を守れ」が森を殺す
近年、野生動物の増加が大きな問題になってきた。その主役はシカである。
ニホンジカの生息数は、2016年で本州以南に304万頭(推定中央値)。北海道のエゾジカ約45万頭と合わせると、約350万頭もいる計算だ。農作物被害額は172億円だが、そのうちシカによるものが56億円、約3割を占める。

気を付けたいのは、この数字はあくまで農作物、つまり農業分野だけであることだ。シカが引き起こす食害は、農業だけではない。もともと森にすむ動物だから、森林に対するインパクトが大きいことを忘れないでほしい。
特に林業に対する被害は気付かない形で広がっている。というのも、林業家が現地を訪れるのはそんなに頻繁ではないからだ。同じ山を見回るのは、早くて数カ月、ときに何年間も間隔が開く。植林した山を久しぶりに再訪すると苗が全滅していた、60年間育てたスギを収穫しようとした時に樹皮が剥かれて材が腐り、使い物にならない─と気付く。こうした被害は算定しづらい。
植林地全体を防護柵で囲む措置を取ることもあるが、シカは柵を飛び越えたりわずかなスキマを広げたりして中に入る。一カ所破られたらアウトだ。
最近の林業は皆伐が増えてきたが、伐採跡地に再造林を行ってもちゃんと育たないという事態も少なくない。このままだと伐採跡地が裸地化して災害を引き起こす恐れもある。
被害は林業地だけではない。獣害問題を考えるため奈良公園で「奈良のシカ」を追いかけたが、天然林の被害も深刻だった。奈良公園には世界遺産の春日山原始林が含まれるが、増えすぎた「奈良のシカ」によって著しく劣化していた。シカは、春日山原始林の下生えの草や口の届く範囲(ディアラインと呼ぶ)の枝葉を食べてしまう。そのため地表部はスカスカだ。加えてドングリ類を食べ尽くすため、稚樹が育たない。最近では餌が足りないらしく、落葉を食べているシカも観察されている。