オーガニックコットンと苦楽の30年:アバンティ物語㊤
30年前からオーガニックコットン販売に取り組んできたアバンティ(東京・新宿)。「エコ」「エシカル」「オーガニック」がほとんど知られていなかった時代から「顔の見える生産者」を大事にしてきた。渡邊智惠子会長は、「私たちが作ってきたのは獣道(けものみち)。次世代へつなげたい」と抱負を語る。(聞き手・オルタナS編集部=多田野 豪)
――30年前は、エシカルやオーガニックなどの言葉はなかったと思います。それでもオーガニックコットンを手掛けたのは、なぜだったのですか。
私はオーガニックコットンが好きな「ナチュラリストだから」ではなく、一言で言うと「食べるため」でした。
1985年に設立した子会社(アバンティ)が、親会社「タスコジャパン」への依存を止めることになりました。そこで、来るもの拒まずの姿勢で、どんな仕事の依頼も受け付けました。
たまたまニューヨークの「エコスポーツ」という会社から、オーガニックコットンの商品と生地の輸入を頼まれたのです。
当時はお金もあったので、着る服はすべて一流ブランドばかり。オーガニックコットンを手にした時の第一印象は、「こんな生成り色のものを誰が着るのかしら」でした。
土臭さや野暮ったさを感じましたが、それでも輸入して欲しいと頼まれたので、やりました。でも、いろいろ調べていくとコットンの環境への負荷が非常に大きいことが分かりました。
それによってガンになる人がいたり、生態系が変わったりしていることも学びました。
当時、米国で化学薬品や除草剤などを貯めている貯水池を訪問しました。
黄色や緑色の池で、鳥が飲みに来たら確実に死んでしまうので、空砲を撃って鳥を近づけないようにするパトロールまでいました。
私はそれを知ったとき、どうせやるなら、そういう薬剤を使わないオーガニックコットンを増やしていきたいと強烈に思いました。