「パンの缶詰」で災害時に備え、同時に国内外の食糧難解決に貢献する――。「パン・アキモト」(栃木県那須塩原市)は、災害備蓄用に販売した缶詰入り生食パンを賞味期限前に回収し、国内被災地や世界の食糧難地域に届ける「救缶鳥プロジェクト」を10年前から継続。国内外に計46万缶を届けている。このほどユーグレナと協同開発した「みどりの救缶鳥+(プラス)」を発売した。(オルタナ編集部=堀理雄)
■被災地に柔らかくておいしいパンを
「飢餓に苦しむ地域や被災地で、パンの缶詰を手にした子どもたちが満面の笑みを浮かべる姿や喜んで食べる姿を見るたびに、パン缶を持っていってよかったと毎回、思います」
こう話すのはパン・アキモトの秋元義彦社長だ。父・健二氏が那須塩原市で1947年に創業した「秋元パン店」を引き継いだ。
パンの缶詰開発のきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災に遡る。震災発生後、被災者に出来たてのパンを届けようとしたが、被災地は混乱しており、届ける前に多くのパンが傷み、捨てざるを得なかった。
災害時でも食べられるよう長持ちし、柔らかくて美味しいパンがつくれないか――。秋元社長は開発に着手し、試行錯誤を経て缶のまま焼き上げることで長期保存できる「パンの缶詰」が1996年に誕生した。
2004年の新潟県中越地震の支援では、被災者がパンの缶詰を食べる様子がメディアでも報道され、注目を集めた。翌年のインドネシア・スマトラ島沖地震の津波被災地の支援では、現地から「中古のパンでも良いので送ってほしい」という要望の声があった。
この声をきっかけに、賞味期限後は廃棄されてしまうパンの缶詰を期限の半年前に回収し、国内の被災地や世界の食糧難を抱える地域に届ける「救缶鳥プロジェクト」が生まれた。プロジェクト実現には、NGOや運送を担う事業者の協力も大きかった。
秋元社長は「支援が必要な人に向けて、多くの人的ネットワークやそれぞれの能力を持ったプロ集団が連携できれば、支援を実施できる」と述べ、次のように指摘した。
「気をつけているのは『やさしさの押し売りをしない』こと。お金や物資を提供すれば良いわけではなく、現地の人たちが本当に喜ぶものを提供することが国際貢献につながる。パン屋として何ができるかを考え世界へ貢献したい」
秋元社長はクリスチャンの家庭で育ち、学生時代の米国でのホームステイのほか、働き始めてからもインドやネパール、フィリピンなどアジアの途上国へ訪れる機会が多かった。「今日の一食も無い現地の子どもたちと、売れ残りのパンを廃棄する日本のパン屋の違いに違和感を持ち、自分にできる何かをしたいと誓った」という。
■遊びや通学のための「靴」も継続支援