――そんな中で、ロミーさんに会われた時、何か強烈にフィットする、共感することがあったのですね。35年というと、日本はバブルの絶頂期。梶原さんは、そんな時代に環境を意識したビジネスをはじめられた。思い返してみても、その頃の日本で、環境を考えていた人なんて、少なくとも私の周りにはいなかったですよね。
梶原さん:そうですね、考えたこともないコンセプトで最初はびっくりしましたよ。私は、それまではイギリスの製品も取り扱ったりしていましたが、デザインとファンクションでビジネスを考えていて、個人の健康や環境に目を向ける製品というのはコンセプトにありませんでした。ましてや、健康を提案する商品なんて、その頃は薬しかありませんでしたから。当時、健康を語る人は病気がちな人、環境を語るのは学生運動をしている人や宗教関係の方という印象がありました。日本ではそんな風に偏った形でしか表現できていなかったのでしょう。
でも、ニールズヤードの場合は、パッケージもデザインも、非常にスタイリッシュでしたし、その世界観の伝え方は非常にうまいなと思いました。
当時すでに小さな店が2つありました。いまも本店があるコベントガーデンと、ロンドンの北西部にカムデン・タウンというパンク・ロックの発祥の地と言われているすごい場所です。場所の選び方もかっこいいですよね。(笑)
創業当初から、ボトルの色はずっとブルー。化粧品のブランドで、発売当初からパッケージのデザインを変えないのは非常に珍しいことです。