3月19日、津波の被害が激しい宮城県女川市に入った。人口1万人ほどの町の中心部は壊滅状態で、8割くらいの建物がなくなり、一帯は更地になった。壁がなくなり、鉄筋がむき出しになったビルもあった。
女川では、海岸から200メートルくらいから丘が始まるが、津波は丘すらも駆け上ったようだ。標高20メートル近くある、丘の上の女川町立病院の玄関前でもクルマが横転し、ここまで津波が来たことを伺わせる。津波によって海から2キロ離れた場所でも死者が出たという。
女川第一保育所は女川の高台にある。震災後、18カ所ある避難所の一つとして使われ始めた。保育園の6つほどの教室に200人が避難している。
園長の梁取礼子さんによると「保育園に上がっていく一本道も、津波が駆け上がってきた。すぐ近くの集落は壊滅して、多数の死者が出た」という。
家族や親戚を亡くしている人が多数のはずなのに、被災者たちの表情は、気丈に振舞っているように見えた。にっこりと笑顔を見せる人もいた。
いま現地で足りないものはなにか。
被災者の一人、星永康町さん(57)は「食料は割りとあるが下着や衣類が足りない。被災してからずっと同じ服装だ」と訴えた。
市内では、災害対策本部や大きな避難所には電気が来ているが、その他の場所は来ていない。上水道は、給水車が供給している。
被災者の一番の不便は風呂に入れないことだが、女川の避難所の一部では、自衛隊の協力で、明日から風呂のサービスが始まるという。(オルタナ副編集長 形山昌由)