―― 一部には「原発の今後について国民投票をやるべきだ」という声もありますが、どうすれば国民の声や意見を政策に反映できるのでしょうか。議会であれば議員を選挙で選べますが、行政に直接、国民の声を届ける方法はありません。
田坂 それは、「政治主導」の問題なのですね。もし「政治主導」が本当に機能していれば、政治家を通じて、国民の声が行政に的確に届くはずです。しかし、いまだに「政治主導」は掛け声だけで、実際にはあまり機能していません。そして、それができていないために「官僚指導」が続いてしまうのです。今回の玄海原発再稼働問題も、電源需給を懸念する経産省が責任感に駆られて進めてきたわけですが、「それでは国民が納得しない」という総理の判断で、一回、在るべき姿に戻したわけです。
もし、こうした政治主導が機能しないのであれば、政治家は要らないということになってしまいます。そもそも、官僚機構は優秀な人材が集まり、多くの情報を持っている。従って、行政の細かな部分に入ると政治家は太刀打ちできません。されば、本当に政治主導を実現するためには、やはり政治家が原点に戻り、国民の声や思いを代弁しなければならないのですね。そして、国民が「信頼できない」「納得できない」と感じているのであれば、その思いや声を、政治家は行政に反映しなければならない。その意味で、様々な混乱が生じたことは残念ですが、玄海原発の拙速な再稼働に対して、総理がストップをかけたことは、政治主導に向かっての試行錯誤の一つといえるのでしょう。
――原発をどうするかを決めるには、経済界の声も大切になってきます。経団連の米倉弘昌会長は今まで通りがいいと考えているようです。そういう原発推進の声が主流のようですが、その一方で、「原発に依存しなくてもいい社会」を目指したいという経営者も少しずつ出て来ています。
田坂 経済界の方々の気持ちもよく分かります。原発が止まったら電力需給はどうなるのか、電力コストはどう上がるのか、企業が日本から逃げてしまうのではないかなど、様々な懸念が生まれることも自然なことです。しかし、この福島原発事故の甚大な被害を前に、いま、我々に突きつけられているのは、「国民の生命と安全の問題」なのです。やはり、それは、「経済成長や国際競争力が重要だ」という論理だけで軽視することはできないものなのですね。
実際、3月11日以降、現実に、これほど多くの人々が避難し、土壌汚染で子どもたちが校庭で遊ぶことすら心配しなければいけない状況が生まれているのです。経済的ニーズから原発を稼働しなければならないというだけの論理の立て方では、多くの国民の納得は得られないでしょう。
むしろ、いま、政府と経済界が力を合わせるべきは、当面、再稼働が遅れても経済と産業に影響を出さないための対策です。例えば、「埋蔵電力」がどれくらいあって、どの程度電源供給ができるのか。そうしたことを早急に検討すべきです。そして、そのためには、経産省などは、利用可能な自家発電設備などの情報を公開し、政府外の識者の知見も借り、経済界の協力も得て、対策を進めるべきです。
たしかに、我が国にとって経済は重要だと思います。ただ、物事には順序というものがあります。いま、どれほど経済的なニーズがあろうとも、少なくとも独立規制組織を作ること、信頼感のある安全評価をすること、安全評価の情報を分かり易く国民に伝えること、そのうえで、国民からの信頼と納得を得ることを優先すべきです。
そのことを抜きにして、経済的ニーズの理由だけで、いま安易に再稼働をしてしまうと、もしもう一度、何かの大きなトラブルが起きたときには、もはや、国民は原子力行政の何も信用しなくなるでしょう。
――国民の世論を政策に反映するためには、経済人や文化人など社会的な影響力を持つ人たちがもっと声を出していかないといけませんね。いままでは、原発問題にせよ、物言えば唇寒しの状態でしたが、まず国民が声を出すことで正当な市民社会が生まれるのですね。
田坂 経済人や文化人に声を挙げてもらうことは、もちろん大切ですが、やはり、基本は、草の根の人々の声です。最近の中東の民主化革命にも見られたように、いま、ソーシャルメディアは、草の根の人々にとって、極めて有効な社会変革の手段になっているのですね。そうした意味から、6月12日に、岡田武史氏、坂本龍一氏、孫正義氏などの有識者に首相官邸に集まって頂き、「自然エネルギーに関する総理・有識者オープン懇談会」を開催したのです。これは、ネット動画でリアルタイム放映を行い、延べ15万人が視聴し、1万5000件のコメントや質問が寄せられました。
そして、翌週の6月19日には、今度は、「自然エネルギーに関する総理・国民のオープン対話」を開き、「ソーシャル・ビューイング」という方法を試みました。これは、懇談会などの動画を、全国各地でグループで集まって視聴し、互いに議論したり、質問・コメントを送ったり、具体的な行動に取り組むことをめざしたものです。日本においても、こうした「ソーシャル・ビューイング」という手法が広がっていくと、政治と民主主義の在り方が大きく変わっていくでしょう。そして、まさにそこから、この日本という国の新生が始まるのでしょう。(構成=形山 昌由)