日本科学技術ジャーナリスト会議のシンポジウム「原発報道を振り返る」が6日、名古屋市の名古屋大学であり、「政府発表をうのみにして炉心溶融(メルトダウン)を隠した」などと批判されている原発事故後のマスコミ報道について、新聞社の現役幹部らが実態や本音を明かした。
早稲田大学教授(ジャーナリズムコース)で元毎日新聞科学環境部長の瀬川至朗氏は原発事故後の3カ月間における朝日、毎日、読売、日経の記事を分析。
「溶融」の単語が入った見出しは3月13日付朝刊で各社が計6本出していたが、その後は減少して18日にはゼロになり、再び増加したのは5月中旬になってからだった。
テレビではその増減がさらに激しく、事故直後に各社合計で数本だった「溶融」関連のニュースが2カ月後は80本前後に急増した。
瀬川氏は「発生数日で政府・東電が炉心溶融を否定したことが主な要因。結果として会見をそのまま報道した『大本営発表』と言われても仕方がない」と指摘した。
これに対し、朝日新聞科学医療部長の上田俊英氏は「炉心溶融については会見そのままでなく、相当な確信があって書いた。しかし会見で言われなくなると報道が減っていったのも事実」、福島民報報道部長の早川正也氏は「記事が消えたわけでなく、現場が変わった。水もガソリンもインクもない混乱の中で、地元紙として県民の生活情報を優先した」などと弁明した。
パネルディスカッションで、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の開発にも携わった名古屋大学教授(エネルギー理工学)の山澤弘実氏は「3月15日朝の時点で放射能が北西方向に流れるという計算はあるていどできていた。自分は発表する立場になかったが、まだあいまいな情報で積極的に出すという判断は当局側になかった」と明かすと、福島民報の早川氏は「基本的にうちもあいまいな情報は流せなかったが、15日朝にわかっていたなら何らかの役に立ったのでは」と顔をしかめた。
シンポジウムは「あいちサイエンスフェスティバル」の一環で開かれ、科学ジャーナリストら250人が加盟する同会議がこのテーマを取り上げたのは初めてだという。(オルタナ編集委員=関口威人)