「水俣病の経験・教訓を現在の社会にどう生かしていくのか」をテーマに、立教大学社会学部現代文化学科の関礼子教授が5日、新潟県立環境と人間のふれあい館で講演をし、約80人が参加した。
新潟水俣病患者と長年交流のある関さんは、「水俣病の教訓をあらゆる場面で生かしてほしい」と語り続けてきた患者の言葉を紹介し、だからこそ、原発事故以降のポスト311の世界は、水俣病のたどった道と「似させてはいけない」と訴えた。
新潟水俣病が公式に発見されてから46年。亡くなられた語り部も多い。彼らが残していったメッセージは、「私たちのような辛い経験は二度と繰り返してほしくない」という願いだったという。被害を語ることで、傷つくこともあった。それでも次世代に教訓をつなげたいという気持ちが、今日まで語り部が続いている理由だと話した。
しかし、福島原発事故後の社会の動きを見てみると、水俣病と同様の構図が見え隠れするという。
一つ目は、「経済優先」の考え方。水俣病では化学工業が日本の産業に与える影響は大きいと考え、通産省は有効な行政指導や対策をとらなかった。「経済悪化、産業の衰退という脅迫観念」から、水俣病問題を語れば地域の産業、雇用が成立しないと考えるようになり、住民と被害者の不幸な対立が生まれたと指摘した。同じ状況が311以降の福島にも見えるという。
二つ目は、「社会的な排除と、被害の過小評価」。新潟水俣病では、誹謗中傷の葉書が被害者の自宅に届くことがあった。また、地場産業への経済的影響を考え、水俣病患者を地域から出さないと決めたところもあったという。
三つ目の「イメージとしての水俣」は、被害地域を「水俣」に限定してとらえることで、他の地域には健康被害がないと思わせてしまったことを指す。
「福島の県境と放射能の汚染マップは一致していない。意識の上で、福島に放射能問題を閉じるこめることで、心理的に安心した日常を過ごしている人もいるだろう。しかし、問題意識が薄れれば、放射線量が高い福島県以外の地域での健康調査や除線対策は進まない」と話した。
福島と水俣。類似点はあるが、異なる道筋を選びとることはできると関さんは主張する。「水俣病の教訓には、未来を切り開くヒントがそこにはある」と強調し、「我々はこうした訴えを真摯に受け止められるのか問われている」と呼びかけた。(編集委員=奥田みのり)