記事のポイント
- 輪島市に、震災直後から炊き出しを仕切ってきた地元の料理人がいる
- サステイナブル・レストラン協会は震災後、県外の料理人らに炊き出し支援を呼びかけた
- その料理人らの連携ネットワークは、豪雨災害後の支援でも活かされた
石川県能登地方の豪雨災害から1か月、被災地の復旧は依然、道半ばだ。能登半島地震と豪雨で二重に被災した輪島市では、震災直後から指定避難所で炊き出しを仕切ってきた地元の料理人がいる。日本サステイナブル・レストラン協会は震災後、県外の料理人に呼びかけ、輪島の炊き出しを支援してきた。9月の豪雨被害でもその連携ネットワークが活かされた。(オルタナ副編集長=北村佳代子)

写真提供:日本サステイナブル・レストラン協会
「行政、ボランティア、支援団体など、復旧作業を進めてくださっている方々に感謝しかない」
石川県輪島市町野町で「日本料理 富成」を営む冨成寿明店主は10月20日、熊本市で開催された「ぼうさいこくたい2024」で開口一番、謝意を述べた。
■被災地で炊き出しを作り続けた料理人
人口約2000人の町野町は、元日の震災で中心部の建物の約7割が全壊し、冨成氏を含む全町民が避難所での生活を余儀なくされた。その中で冨成氏は、自分が管理・運営を仕切る形で、指定避難所での炊き出しを450人分、1日3食、作り続けた。
手に入る食材は無駄なく使い、赤ちゃんから高齢者まで食べられ、可能な限り栄養バランスを整えたメニューを考案し、調理した。食中毒を出さないよう神経を使いつつ、自分自身がダウンすることのないよう、感染症予防で車中泊を続けた。
町野町の避難所での炊き出しが2月末で終了した後も、輪島市最大の避難所を自衛隊から引き継いで7月末まで炊き出しを続けた。
■調理のスキル次第で、摂れる栄養素も広がる
その冨成氏を支えたのが、「日本料理 富成」の加盟する日本サステイナブル・レストラン協会(SRAジャパン)のネットワークだ。英国発祥の当協会は、調達・社会・環境の視点からグローバル基準で「食のサステナビリティ」を推進する。定期的な勉強会などを通じて全国の加盟店同士でのつながりができていた。
当協会の下田屋毅代表理事は、「被災した冨成さんを助けようと加盟店の中から声が上がった。手探りだったが、大量調理や衛生管理も考慮して、調理のプロの派遣を決めた」と振り返る。
菓子パン、おにぎり、カップ麺など、避難生活での偏った食生活が長期化すると、食欲の低下、便秘・下痢・口内炎といった症状も出やすくなる。SRAジャパンは、「災害時の食と栄養 支援の手引き」を発行する「食べる支援プロジェクト(たべぷろ)」とも連携し、被災地に向かう料理人らにその内容を共有した。
「料理人の方々には、すべて食材を持参しレシピも考えた上で、被災地で提供いただいた。外から料理人が入ることで、冨成さんが初めてお休みを取ることができた」(下田屋代表理事)

冨成氏(手前中央)とSRAジャパンが派遣した支援チーム
■震災後の食支援の連携が豪雨災害でも活かされる
SRAジャパン加盟店のピッツェリア・ジターリア・ダ・フィリッポ(東京・練馬)は、震災直後から継続的に輪島の炊き出し支援を続ける。
「冨成さんからビタミンを摂取できるものが欲しいと連絡を受け、フルーツを届けた。傷みの早いフルーツは、再開した地元大型スーパーや移動販売でも手に入らなかったため喜ばれた」と、フィリッポの廣瀬公彦業務執行役員は振り返る。
震災後の継続的な連携・支援は、9月の豪雨災害でも活かされた。
水や電気も復旧する前の9月25日、同店の社員2人が、シャベル30本、ランタン20個、水を手配して現地に向かった。直後の支援は土砂の泥かきがメインだったが、10月上旬には再び、冨成氏の炊き出しを支援した。
冨成氏も「次の災害のために、後回しにされがちな食支援の仕組みを確立することが次の目標」だと前を向く。