ミドリガメ――アカミミガメについては、私自身も自然界に放してしまう可能性は充分にあった。以前、このコラムでイシガメについて書いた際にも触れたが、かつて、お菓子の景品として「アマゾンの緑ガメ」が当たる懸賞があり何回か応募した。当選していたならば、何年か後に間違いなく自然界に「放生」していただろう。
当時、私の周囲では、カメは子ども時代に飼う生きもので、飼い続ける生きものではなかった。周囲の小さな子どもに譲るか、川や池に放すものだった。
大人たちは、成長してカメに対する興味がだんだん薄れていく子どもに対して、「長いこと楽しませてくれたのだから、もう、逃がしてあげなさい。」「お酒をかけて川に放してあげると、恩返しをしてくれるそうだよ。」といった話をして、カメとの別れをうながした。

顔の模様や甲羅の形などから、いずれもアカミミガメ系と思われる。(間を泳ぐのはカルガモ)
(世田谷区野川))
当時のペットのカメは、大概、イシガメかクサガメだったから、その両種間や亜種レベルの遺伝子攪乱はあったのだろうが、外来種の問題など今のように意識されることはなかった。私は、周りの友人に比べ、かなり遅くまで飼っていたが、あるとき、人生のささやかな通過儀礼のようにイシガメを近所の川に放したことを記憶している。
巨大化して飼いきれなくなっただけでなく、そのようにしてミドリガメと別れた少年少女も多かったのではないか。そう思うと、都内の水辺で見かける、何十年かの齢を重ねているだろう巨大なアカミミガメにも、ふと愛おしさを感じることがある。
もとより、野生化したアカミミガメが、駆除の対象となることについては、私自身、異論はない。しかし、駆除されるアカミミガメ自体は、新しい環境のなかで彼ら自身、必死に生き延びてきただけだ。
ありふれたことだが、ペットは、自然界に放したり、捨てたり、逃がしてしまうことのないよう、責任をもって、最後まで管理しなければならない。そしてカメの場合、その寿命から考えて、飼い主としても一生かけてつきあう覚悟が必要だろう。
アカミミガメほどのレベルで広く定着してしまった生きものを一挙に駆逐することは困難だ。既に生態系の一部に組み込まれている地域も少なくないだろう。アカミミガメの駆除自体によっても、生態系のバランスが崩れ得る。バランスを維持しようにも、カメは雑種化しやすいことから、イシガメやクサガメと併存させながら徐々に置き換えていくことも簡単ではない。本格的駆除を前に多くの課題が残る。