■私たちに身近な生物多様性(25)[坂本 優]
古今和歌集に「しほの山 差出の磯に 住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く」という歌がおさめられている。
私はまさにその「差出の磯」の地元で生まれ育ったことから、この歌については、郷土の歴史として早くから見聞きしていた。
ちなみに「しほの山」は、そのまま塩の山(しおのやま/塩山山(えんざんやま)ともいう)という名で中央本線塩山(えんざん)駅の西に所在する。塩山という地名がこれに由来するのは言うまでもない。
ここで歌われている「差出の磯」は旧塩山市(現/甲州市)に隣接する山梨県山梨市の笛吹川沿いにある。すぐ南には、治水のために武田信玄がつくったとも伝わる万力林が連なる。私自身含め、近隣の子ども達にとって周辺は、山と川と林が隣接する遊びと探検の場だった。

当時、子供心にも釈然としないものがあった。笛吹川にはしょっちゅう遊びに行き、差出の磯一帯でもよく魚とりをしたのだが、千鳥の鳴き声を聞いた、と自覚したことがなかったのだ。たまにコチドリなどを見かけることはあっても、その姿と鳴き声が結びつくことはなかった。
小魚を追いかけることに夢中で関心が向いてなかったこともあるのだろうか。しかし大人に聞いても納得のいく返事はなかったように思う。「チチチ」などと鳴き、それが千鳥の名前の由来という説もある、といった話を何かで読んだ記憶はある。いつしか千鳥の鳴き声についての疑問は、私のなかでも、どこかの引き出しに入れたまま忘れていた。
私が実際に千鳥の鳴くのを見て、その声を聞いたのは、東京港野鳥公園ができてからだ。潮入りの池の観察小屋で間近に寄ってくるコチドリの姿を追っているとき、よくとおる大きなさえずりが聞こえ、目の前のコチドリがクチバシを開け、のどをふるわせていた。
わかってしまえば、これが千鳥の鳴き声だったのか、という聞き覚えのある声ではあったが、改めて聞くと、それは私には「ピヨーヒヨヨヨヨ(代々代々代)と聞こえ、自分の中では、「八千代とぞ鳴く」という冒頭の古今集の歌の一節とつながった。どこの引き出しにしまったかも忘れていた思い出が蘇った瞬間だった。もちろん古今集に詠まれた千鳥がコチドリとは限らないのだが、それはさておき・・・。