「世の中にあふれている文字を読んで理解できる」
これはあたり前のようで実はそうではないこともある。言葉がわからない異国の地に行ったとき、目に入ってくる文字、耳から聞こえる言葉が全く理解できないという経験がおそらく一度はあるのではないだろうか。
言語を理解しない人たちにとって、「言葉」はまるで意味をなさない。旅行であれば一時的なものかもしれないが、その場所に住んでいたら相当不便だろう。災害発生時や不測の事態が起きた時は大きな恐怖を感じるはずだ。
言葉は時に「バリア」になる。私も子どもの頃、アメリカで暮らした経験があるのだが、周りの会話、商品に書かれている説明、テレビ番組の内容、何もわからないという状況はとてもストレスであると同時に、大きな疎外感を伴う。まさにバリアだ。
そんな環境で言葉が通じる日本人と会うとホッと安堵するし、現地で週末放送されていた日本語放送を食らいつくように見た。
その経験からか、日本で街を歩きながら「言葉の表記はどうなっているだろう」と気になってしまう。より多くの人にリーチできる、バリアフリーなものになっているだろうか。
■駅・案内板

東京2020オリンピック・パラリンピックが近づいてきていることもあり、英語・中国語・韓国語併記が進んできた。これは「わからない」を「わかる」に変える、とても大事なことだと思う。
ひと昔前は、日本語を単にローマ字に置き換えただけのものもあった。例えば国会がKOKKAIだったり……Tシャツやキャラクターグッズも英語とローマ字が混在していたりと、なかなか不思議な表記が多かった。
その置き換えは、残念ながら理解の幅を広げない。「わからない」は「わからない」のままだ。
■災害時