◆論説コラム
発生から10年。あの東日本大震災・津波が残したものは果たして何だったのか、考えてみたい。
10周年を機に報道されるメディアのニュースには涙があふれている。多くの死があり、わかりやすい。しかし、現場に入って以来、私が感じ続けているのはちょっと違う。それは惨事を乗り越えようとする人間としてのプライドであり、それを支えるコミュニティの結束である。
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現地入りで知ったコミュニティの強さ
2011年3月、私は明治学院大学の教授であり、大学ボランティアセンターのセンター長を兼務していた。学生を連れて4月4日に宮城県入り。大学としては一番乗りで、心の底では、「打ちひしがれている可哀そうな人たち」を助けてあげようという思いあがりがあったような気がするが、ところが、現地で驚いた。訪れた石巻の避難所は現地の人により整然と管理され混乱はまったくなかったのだ。
学生たちは子供のお世話やがれき撤去、女川の小学校の入学式、始業式のお手伝いをしたが、被災者は毅然とし誇り高かった。支援してもらわずとも自分たちで立ち上がるんだという気概にあふれていた。
ある時、現地の人に怒鳴られたことがあった。体育館に泊まり込んで支援を続けていたのだが、それが終わり夕食の準備をしている時、学生たちがキャッキャ、キャッキャと騒いでいた。
「うるさい。お前ら、何しに来てんだ」
鋭い声が飛んできた。体育館の一画で、津波に流されたアルバムや位牌などの持ち主を探す展示が行われていた。沈痛な面持ちの人たちが遺品を求めて並んでいた。当然の怒りである。学生も勉強になった。