先日、長年愛用している財布をつくっているブランドの方と話をする機会があった。柔らかく、使い込むほどに手に馴染むその皮をなめしていた工場が閉業したという。動物性素材の使用を避ける流れの影響もあると考えられるが、やはり続けていくには苦しい工賃で依頼をされることも多かったのではないかと聞いた。ものを作る人とその技術なくして私たちはものを使うことができないが、その事実はつい忘れられてしまいがちである。(一般社団法人unisteps共同代表=鎌田 安里紗)

伝統工芸に関わるお仕事をされている方から、職人さんが減少するなかで、もう二度とつくれないものが出てくることを危惧しているという話を耳にすることは多い。一つの工芸品ができるまでには複数の工程が必要だ。ある一つの工程の職人さんがいなくなってしまうと、もうその工芸品は作れなくなってしまうということを意味する。そしてそのことを、多くの人は無くなった後に知ることになる。
ファッション産業においても同じことが言えるだろう。冒頭のなめし工場のように、店頭に並んでいる商品からはその存在を知ることができない重要な仕事を担っている人々がいる。しかし、商品を買っている私たちからは、その工場が置かれている状況や困っていることが見えない。
また、グローバル化が進む中で、高度な分業やそれに適した機械の導入により、技術を持たない人でもある程度生産に関わることができるように、仕組みが作りあげられてきた。
産業が大きくなる過程では必要な変化だったと考えられるが、その過程で、作り手は、尊敬される技術を持った職人ではなく、代替可能性のある労働者であるという認識も育まれてしまったのかもしれない。
もちろん分業そのものが悪いわけではないが、効率化のみに重きを置く行き過ぎた分業は、作り手から工夫の余地や、技術習得の機会を奪ってしまう。
もともと、技術やそれに紐づく文化は、地域の気候風土や地理的条件に基づいて発展してきた。グローバル化した現代においても、世界中どこでも同じものを効率的に生み出せる仕組みの構築だけでなく、それぞれの地域や工場や人ごとの、思考と実験の積み重ねの中で生まれてくる発想や工夫を活かしていくような隙間を残しておくことが、クラフトマンシップが生き続けるために必要なことではないだろうか。
日々身につけているものの背景にどのような技術があるのかに目を向けること、その発展の余地に重きを置いて、職人一人ひとりの創造性が発露される土壌を育むこと。この2点がファッション産業の多様性を失わないために重要なことだと考えている。