「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(57)

「雪乃先生、遠くまでようこそ」
検温などの手続きを終え、ねっとりとした空気をまとったヤンゴン国際空港のロビーに出た瞬間、出迎えの生徒が勢いよく駆け寄ってきた。メイは色白で目鼻立ちの整った女の子。ソウは対照的に日焼けして生気に満ちあふれている。
東京で日本語学校の教師をしている雪乃。彼女のところに風変わりな老人が訪ねてきたのは何か月か前のことである。かなりの高齢で、杖を突き、顔には深いシワが刻まれていた。
海外に関心があるそうだが、オンラインで日本語を教える体制づくりをしてくれないか。理事長の木村と名乗った老人は開口一番、そう切り出した。ミャンマーの田舎に女の子を対象にした寮付きの日本語学校を建て教え子を日本の老人ホームや高齢者介護施設に送っている。しかし、コロナ禍で学校も寮も閉鎖されそうで困っていると熱心に訴えたのである。
年代物の日本製ライトバンがうだるような暑さの中を砂煙を巻き上げ走って行く。雪乃はバッグから1通の封書を取り出した。オンライン教育を引き受けた際、木村から「切なるお願いがもうひとつ。冥途の土産にしたいものがあってな」と半ば強引に押し付けられた手紙が入っている。
済んだ青空の郊外、林の中に学校と寮はポツンと立っていた。
「もうすぐ海外からの入国は禁止されるといううわさです。ギリギリでしたね。ほう、ZOOMによるリモート授業のシステムづくりと現地日本語教師の指導ですか。でも難しいですよ、日本と違うから」校長として学校の運営を任されているのが、苦労人の長瀬だ。Tシャツをまくり痩せた腹に団扇でパタパタとぬるい風を送っている。
「難しいって、Wi-Fiが普及していないから?」と雪乃。
「まあね。つい最近まで電気もなかった所だから。学校周辺はまだしも田舎はWi-Fi基地局を増設しないと無理だね」