「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(61)

あの高名な画家の訃報が米国から伝えられた。私の部屋に彼の絵が飾ってある。残念ながら本物ではない。アートポスターで、農場の建物の一室にポツンと配置された古いイスが描かれている。この絵にはピーンと張り詰めた緊張と熱いエモーションが隠されていて見る者を引き付ける。
もう15年も昔のことになる。美学を専攻してニューヨークに留学していたころ夏休みに東海岸を旅した。当時の私は恋人とのいさかいに疲れ、真実だけが有する透明で永遠なるものに憧れていた。
その少し前、ニューヨーク近代美術館で目にした「クリスチーナの世界」に何かしら親しみのようなものを感じて以来、この絵が実際に描かれた場所をいつか訪ねてみたいと思っていた。
「あんな絵のどこがいいんだ。ニューマンを見ろ。ロスコもあるぞ」
クラスメートの中には批判する者もいたが、私は精緻なタッチの具象に魅了されていた。旅の途中、彼の絵が展示してあるいくつかの美術館に寄り道し、ようやくメーン州クーシングにある白い家に到着した。クリスチーナの甥、漁師のジョン・オルソンが家の中を案内してくれた。
そこはまさにクリスチーナの小さな謎めいた世界だった。物置部屋のふたつのドアに見覚えがあった。台所との行き来に弟のアルバロは左のドアを使い、クリスチーナは青いドアを通ったはずだ。ドアの横にピンクの洋服の切れ端がぶら下がっている。持参した画集を開いてみる。この姉弟が亡くなった直後の作品「アルバロとクリスチーナ」。姉弟の肖像画であり、ふたりへの鎮魂歌でもある。
2階の窓を解き放つ。汗ばんだ肌に心地よい風が入ってきた。レースのカーテンに縫い込まれた刺繍の鳥が生きているかのように突然羽ばたく。窓の下には緑の草原が広がっている。絵でクリスチーナが横になって描かれたあたりの奥に何か見える。目を凝らすと、お墓だった。
「彼女の横臥の姿勢のことかい?奇妙だろう。実はクリスチーナは足の具合が悪くてね。誇り高い彼女は車いすを使わず両親の墓参りをしていたんだ」
そう教えてくれたジョンは好人物だった。ほど近い海辺に画家が父から受け継いだ別荘がある、行ってみるかいと地図を書いてくれた。
海の近くでスケッチブックを開く。1892年、この海で座礁したスウェーデン船の船乗り、オルソンが入り江の家へ助けを求めた。雪解けの春を待つ間にこの白い家の娘と恋に落ち、生まれたのがクリスチーナだ。
お腹がすき、雑貨屋へ駆け込む。赤ら顔の女主人はおしゃべりだった。
「その画家なら毎夏近くの島に避暑で滞在よ。週に一度、内の店に買い出しに来るの。でも、ことしはもうペンシルベニア州チャッズフォードの自宅に帰るみたい。今朝、島から引き揚げてきたからね」
サンドイッチ片手にスケッチを続けていると、日本語で声をかけられた。東京の新聞社の記者だった。取材でニューヨークやチャッズフォードまで画家を追いかけ、ここまでやって来たのだという。
「人嫌いで気難しい画家みたいだな。画商、友人、息子、誰も彼に会わせてくれない。やっと、この近くの島にいること突き止めたが、どの島なのか誰も教えてくれないんだ」
あまりのしょげ具合に気の毒になった。
「もう自宅に帰るようです。島から引き揚げてきたから」
「えっ、じゃあ今はどこに?」
「さあ」首をひねった。その時、もしかしたら父親の別荘かもしれないとひらめいた。