連載:企業と人権、その先へ(10)
岸田政権の目玉政策の一つである「新しい資本主義」。「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとするものとしてその具体的内容が議論されている。昨年11月8日には「緊急提言 概要〜未来を切り拓く『新しい資本主義』とその起動に向けて〜」が公表された。世界各国において、持続可能性や「人」が重視され、そこから新たな投資や成長につなげて新しい資本主義の構築を目指す動きが進んでいることを受け、日本の「成長」のあり方を見直し、世界に発信しようとするものである。(弁護士・佐藤 暁子)

上記緊急提言では、新しい時代の経済を創るために、「人的資本や無形資産、社会・自然環境・人権への配慮などを可視化することで、成長の質や長期的な企業価値を評価するための環境を整備することが重要」とある。
また、成長と分配の実現のために、「多様性(ダイバーシティ)と包摂性(インクルージョン)を尊重し、女性や若者、非正規の方、地方を含めて、国民全員が参加・活躍できる社会を創り、一人一人が付加価値を生み出す環境を整備する必要がある」と言う。
そして具体的な分配戦略として、事業環境に応じた賃上げの機運醸成、男女間の賃金格差の解消、非席雇用労働者等への分配の強化といった支援が提言されている。
新自由主義によって、特に社会において脆弱性が高い人々への皺寄せが大きくなり、結果、格差は埋まるどころか広がるばかりである。その問題点を指摘し、転換を図ることは今の日本、そして世界にとって必要なことであることは疑いの余地がない。
しかし、新たな資本主義を考えるに際して、まずもってその根底に人権の実現が最低限の条件であることをしっかりと共有すべきである。確かに、「人権への配慮」は含まれたものの、この点こそが議論の出発点であり、ゴールになることが、十分に示されているとは言い難い(そもそも「配慮」と「保護」あるいは「実現」は似て非なるものである)。
ビジネスと人権に関する指導原則は、自社のみならず、事業活動全体に関連するステークホルダーの人権を尊重することを企業に求め、国はそれを実現する義務を負う。
ただ、指導原則も、残念ながら格差を生み出し続ける今の資本主義のあり方の根本的な見直しには十分に貢献できていないのが現状である。ただ、だからと言って指導原則の役割がなくなるわけではない。
事業活動のあり方を考える際に、国際人権基準を導入すべきこと、ライツホルダーの視点で考えるべきこと、救済を提供すること、いずれもこれからの経済のあり方を考える上で必要不可欠である。
それでもなお、果たして、資本主義を「新しく」することだけで、格差を初めとする現在の人権課題の改善が叶うのか、今一度問いたい。ダイバーシティ&インクルージョンも言及されているものの、現在の(日本)社会に根深く残るさまざまな差別の問題に向き合うことなしに、これは達成できない。
「国民全員が参加・活躍できる社会」、この言葉は、国内で社会を共に作る、外国籍の人や移民、難民(庇護申請者)を排除するものではないだろうか。「付加価値を生み出す環境」という発想は「生産性」の議論に繋がらないだろうか。
これまでも、一つの物差しのもとで生産性が評価されたことによる弊害は度々指摘されている。人権を基礎付ける人間の尊厳や自己実現といった価値を守る上で、「付加価値」という他者からの評価は必要なものだろうか。
さらに、どれだけ制度を整えるとしてもそこで歪みが生まれる可能性は否定できない。だからこそ、それを是正するための救済制度が求められる。
この点についても、日本には未だに国際的なパリ原則に沿った国内人権機関が設立されておらず、国際人権条約の侵害について救済を求めることができる個人通報制度も導入されていないなど、今すぐ改革すべき点は多数ある。
これまでも国内外から指摘されてきた人権課題に取り組むことなく、成長と分配という枠組みの転換を唱えたとしても、真の「誰ひとり取り残さない」社会は実現するのだろうか。
表面的な手当だけでは変革が起こせないことを私たちはこのコロナ禍で十分学んだはずであり、その教えを今こそ活かすべきだ。