
28日に結成総会を開催する環境政党「緑の党」。共同代表に選出される公算の高いすぐろ奈緒氏の人となりに迫った。(聞き手・赤坂祥彦)
――ご出身は。
小学一年生まで東京の足立区で育ち、その後、栃木市へ引っ越しました。1979年生まれの33歳です。
――政治家を志したきっかけは。
イラク戦争に反対する「ワールドピースナウ」という市民運動に参加したことです。その時の中心メンバーとして活動しました。日本が戦争に加担したことが心底悔しく、これ以上、政治を他人まかせにできないと思っていた時に、04年の参議院選で、中村敦夫さんが代表を務めた「みどりの会議」のお手伝いをしました。それまで高かった政治のハードルが低くなった感じがしました。
――イラク戦争が大きなきっかけだったのですね。
政治参加への意識が芽生えたと同時に、劣化ウラン弾は日本の原発のゴミから作られていると知った時に「原発は一刻も早くなくさなければいけない」と強く決意しました。それから、猛勉強して、経済格差や南北問題などは全て根底で繋がっていると分かり、これは私たちが生きる世界の仕組みを変える必要があると思いました。それには、市民運動だけでは不十分で、決定権を持つ政治家も変わる必要を痛感しました。
――どのような子供時代を過ごしたのでしょうか。
中学2年生の時にはじめて、社会運動に参加しました。栃木市の水源地近くに建設が計画された産業廃棄物処分場に反対するための署名を集めました。反対運動が奏功し、県知事が建設を中止したことが最初の政治体験です。
――趣味は。
海外旅行です。お気に入りを一カ国あげるとすれば、コスタリカです。人を威圧するような日本の刑務所と違い、現地では、囚人たちは金網に囲まれた開放的空間で暮らしていました。低学歴のために犯罪に走った囚人は、施設内で学校教育を受けることができるそうです。あれだけ厳重な空間で過ごす日本の受刑者たちの再犯率は約4割であるのに対し、コスタリカでは2割程度という話が印象に残っています。
――「緑の党」は党首でなく、共同代表を4人たてるそうですが、誰か一人が組織の顔になる必要があるのでは。
人前に出るのは得意ではありません。「緑の党」を知った時、「こういった流れを日本にも広めたい」と思いました。しかし、中心的な役割を担うというより、流れを後押しできればいい、くらいの気持ちでした。しかし、私もそういった部分を鍛えなければなりませんね。
【すぐろ奈緒 プロフィール】
1979年生まれ。東洋大学法学部を卒業後、NGO「フォーラム平和・人権・環境」に勤務。2010年「みどりの未来」共同代表に就任。2011年、31歳で杉並区議会議員選挙で2期目当選。