参院選東京選挙区では、2011年の東電原発事故後に決められた、福島県内の学校等での年間20ミリシーベルトの被ばく許容線量が再び焦点となっている。当時の経緯を振り返ると、文科省ら政府が市民不在のまま基準をまとめたことがわかる。
■年間20ミリ基準の担当者は鈴木氏

発端は、無所属の山本太郎候補が、元文部科学副大臣で民主党から出馬する鈴木寛候補を「当時、子供の被ばく限度が年間1ミリシーベルトだったのを20ミリまで引き上げてOKだと言い、抵抗しなかった」と名指しで批判したことだ。これに対して鈴木氏は、自身のウェブサイトで名指しを避けつつ「福島の子供たちを不安に陥れることだけは絶対に許せない」などと反発した。
年間20ミリ基準は、文科省が11年4月19日に福島県教育委員会や関係機関に通知。文科省はICRP(国際放射線防護委員会)の2007年勧告を踏まえ、事故からの復旧時における「参考レベル」として示されている、年間1~20ミリの許容線量の上限を基準に定めた。この時、原子力安全委員会や放射線の専門家が文科省に助言を行っている。
この基準決定を担当していたのが鈴木氏だ。同年5月2日、政府と東電の合同記者会見で文科省の坪井裕審議官(当時)は「今回の(年間20ミリ基準)問題は、鈴木副大臣が担当していた」と述べた。
「年間20ミリ基準から導き出された当時の基準3.8マイクロシーベルト/時は、放射線管理区域での基準の約6倍以上。子どもや妊婦への配慮を欠いている」。当時、市民らと共に政府交渉を繰り返した環境NGO「FoE Japan」の満田夏花氏は指摘する。
政府交渉での文科省の担当者は渡辺格・原子力対策監(当時)。満田氏は、年間20ミリ基準の撤回を求めて渡辺氏に「責任ある立場の人との対話を望む」と再三詰め寄った。しかし、当時の高木義明文科相、鈴木副大臣ら政務三役が交渉の場に姿を現すことはなかった。